最大公約数的なコミュニケーションツールとしての「普通話」

2022年10月26日

さて、私事で恐縮ですが、中国で生活をしていて、最近、あまり外国人扱いされた経験がありません。以前は「韓国人ですか?」とか色々、言われましたが、最近は、ほとんど何も言われないので、寂しい限りです。

自分ごときの中国語レベルでも、相当、話をしないと、わからないみたいです。ちょっと、ぎこちないことがあっても、「何か、ちょっと変なやつだな」くらいの認識しかもってない感じなのです。もしかすると、こちらを香港人か台湾人、あるいは少数民族なのかもしれないと思っているようなふしがあります。

「自分は外国人で・・」と、パスポートを示しながら説明すると、やっと「ああ、外国人ね。」と気がついてくれるという具合です。

 

しかし、これはなにも、自分が特に中国語が上手というわけではなく、多くの人が経験することではないかと思います。

つまり何が言いたいかというと、中国語の普通話は、それほど、精度を求められていないのではないかということです。

 

しかし、これが仮に日本であればどうでしょうか?どれだけ日本語が上手な外国人でも、所詮、外人さんは外人さんです。ものの数秒も話せば、外国人と判明して「日本語、お上手ですねえーー」になってしまいます。

日本では、日本人とそれ以外が明確な区切りがあります。島国だし、ほぼほぼ単一民族であるし、アイデンティティ的に明確に区別しやすいのだと思います。

 

一方、中国の「普通話」には、日本語ほど細かなニュアンスを表現するレベルまでは求められていない、と言えます。

中国というのは、あまりにも文化、習慣、言語が違いすぎて、そのままでは交流不可能なので、とりあえず、普通話というものを設定して交流するための言語と言う側面があるのではないでしょうか。

要するに、いわば、最大公約数的なコミュニケーションツールとして、普通話が存在しているということです。

 

以前、こんなこともありました。

中国のモンゴル族の女性(モンゴル人ではない)が、普通話の認定書を取ったということで、周囲の漢族の女性から「それはすごい!!」と褒められていましたが、当時はよくわからず「中国人が中国語の検定を取って何がすごいねん!」と思っていました。

しかし、少数民族の人々にとってみると、普通話というのは、一種の外国語に近いのかもしれません。ちなみに、モンゴル語は、ウラルアルタイ語族なので、どちらかといえば、日本語に言語構造は似ているはずです。

 

また、こんなこともありました。

ワクチン会場で、最初にアプリを登録をするときに、いくら探しても外国人の欄がなく、しかたなく「民族」という欄があったので、そこを探してましたが、どうも少数民族の欄であるらしく、外国名はいっさいでてきません。

仕方なく、ボランティアの中国人女性に「自分、日本人なんだけど、外国人の欄がないね。」と言って画面を見せると、「どれどれ」といって、「民族」の欄の画面をスクロールしだします。

「いや、いや、オレ、少数民族ちがうし、外国人やし。。。」と言っても、聞く耳持たず、「日本人ないねえ・・」とか言いながらずっと探しているという始末。

そこの欄には、少数民族しか無く、外国人が無いのは一目瞭然だし、すぐにわかるはずですが、どうも、このボランティアの中国人女性は、少数民族と外国人の区別もついていないようでした。

まあ、さすがに、このボランティアはひどすぎだとは思いますが、中国人は一般的に、外国人と少数民族の境界線が、あいまいなのかもしれません。

会話

Posted by 老板