日本のことわざのルーツ、中国の「成语故事」について
「五十步百步」「百聞は一見にしかず」・・・
小学校の時に習ったと思いますが、こういう日本のことわざのルーツになっているのが、中国の「成语故事」です。
日本語のことわざ、そのままのもあれば、多少ちがうのもあったりします。普段の会話の中で、使うかどうかは微妙ですが、知っておくと中国人とコミュニケーションするときのきっかけともなります。
といっても「成语故事」は膨大なので、以下、日本のことわざの由来になっているものについて、少しだけ紹介してみます。これだけでも、中国語でスラスラと言えるようにしておくと、「おお、すごい!!」と中国人から尊敬の眼差しで見られるかもしれません。
◯五十步笑百步(wǔ shí bù xiào bǎi bù) 間に「笑」が挟まっている以外は日本のごとわざと同じです。五十步が百步を笑うとなり、より意味が具体的ですね。「孟子」からの引用です。
◯四面楚歌(sì miàn chǔ gē) 日本語と同じです。「楚」の項羽が、四面を囲む「漢」の劉邦の軍の中から楚の歌を聞き、楚はすでに漢の軍門にくだったかと嘆いた故事が由来だそうです。「史記」からの引用です。
◯朝三暮四(zhāo sān mù sì) 日本語と同じです。飼っている猿に、果物をあげるのに、朝3つ夕方4つといったら怒ったので、朝4つ夕方3つといったら、喜んだという逸話です。転じて、目先の違いに囚われて、実際は同じであると気が付かないとか、逆に、言葉巧みにうまいこと言いくるめるというような意味のようです。「列子」からの引用です。
◯塞翁失马(sài wēng shī mǎ) これは、日本語では「人間万事、塞翁が馬」で、「塞翁」という人の飼っていた馬が逃げたけど、別の馬を連れて戻ってきて、こんどは、その馬で息子が落馬したが、そのおかげで兵役に取られなかったとかいう話だったと思います。悪いことと良いことは繰りかえすという意味あいのコトワザです。「淮南子」からの引用です。
あと、以下のようなものがあります。
◯百闻不如一见(bǎi wén bù rú yī jiàn) 百聞は一見に如かず。
◯大器晚成(dà qì wǎn chéng) 日本語と同じです。
◯鸡口牛后 (jī kǒu niú hòu) 「鶏口となるとも牛後となることなかれ」
◯入乡随俗 (rù xiāng suí sú) 「郷に入っては郷に従え」
◯摸着石头过河(mō zhe shí tóu guò hé) 「石橋を叩いて渡る」
◯井底之蛙(jǐng dǐ zhī wā) 「井の中の蛙」
あと、日本語のことわざには無い感じですが、自分が聞いたことが有るものを挙げておきます。
◯守株待兔(shǒu zhū dài tù) 直訳すると「株を守って兎を待つ」で、ある農民がウサギが株にぶつかって死んだのを見て、二匹目のドジョウを狙って、株のそばでずっと待っていたという話。転じて、努力なしに成功したいという安直な心理状態のたとえのことのようです。「韩非子」からの引用です。
◯愚公移山(yú gōng yí shān) 昔、中国に愚公という人がいて、家のそばに二つの山があり不便なので、山を移そうとしたところ、そんな馬鹿げたことは無理だと周囲から嘲笑された。しかし、末代に渡ってもやり遂げる意思で、山を移し続けたところ、愚公のひたむきさに打たれた天帝が山を他の場所に移したという説話。転じて、何事も、愚直にやり続ければ、最後には成功するという例えのことです。(愚公は、引っ越しするという選択肢はなかったんでしょうかね?)「列子」からの引用です。
◯近水楼台先得月(jìn shuǐ lóu tái xiān dé yuè) 水に近い楼台が、先に月の光を得るということで、ある人や物事に接近することによって、先に何らかの利益や便宜を得られることのたとえです。ある異性に取り入るには、一番近いポジションにいるのが、結局のところ得策だみたいな解釈もできるようです。
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