中国語を使うと人格が変わる?!

2022年6月3日

中国語で話すときに時々感じるのは、中国語で話しているときの自分と、日本語で話をしているときの自分では、人格的に隔たりがあるということですね。

二重人格とか、そんな大げさなものではないですが、中国語を使っているときの自分というのは、何というか、普段の自分に比べて、かなりずーずーしく振るまっているような気がしてならないというか・・・

もちろん、中国ではそうしないと、生きていけないからそうしているというのもありますが、中国語それ自体にも、そういう効果がある気がします。そもそも、中国語というのは、声を発するときに、声を大きくしないと通じないようなところのある言語なので、自分の気持ちまで、大きくなってしまう気がします。

また、日本語で話しているときは、無意識のうちに、他人との距離感を考えて、呼び方や語尾を調整したりしますが、中国語ではそういう作業が一切いらないので、気にしなくてすんでしまいます。相手が、社長であろうが、部下であろうが、女であろうが男であろうが、「你(にー)」は「你(にー)」です。空気を読む必要がないので、一種の開放感があるんですよね。

日本語でも、標準語で話すときと方言で話すときで調子が変わったりしますが、それと同じで、人間の心や精神状態なんて、言葉自体で、変わってしまうものなんだなあと思ってしまったりするわけです。

そういう意味では、外国語を話すというのは、一種の演技といえるのかもしれません。普段とは違う自分を発見できるという、思わぬ効果もあるかもしれませんね。

マイペース派か?なりきり派か?

ただ、それは人によるのかもしれません。

普段から、自分をさらけ出している?人は、あまり変わらないようです。例えば、自分の知り合いで、何語を話してもその人の持ち調子から離れない人がいますが、癖が強すぎて、それに引っ張られるという感じです。

世の中には、2つのタイプがあって、あくまで自分自身から離れないタイプ(マイペース派)と自分自身から離れるタイプ(なりきり派)がいますが、何語で話しても変わらないような人は、前者といえるでしょうね。

まあ、別にどちらがいいとかそういうつもりはなく、コミュニケーションが取れているのであれば、どちらでもいいとは思いますが。

ちなみに、自分は、後者ですね。演技云々というよりも、ふだんのボソボソした声では、中国語として成立しないので、仕方なくという感じですかね。

会話

Posted by 老板